6月9日、午後。
四日市市文化会館で「「東北の次世代を支援する会 第1回コンサート」が開かれました。
市内の小児科の先生や、子育て支援のNPOさん主催の「弦楽四重奏」のコンサートに、遠野まごころネットから、木寅さんがいらしてくれました。(チェロ奏者がまごころで活動されていたそうです)
今の三陸の現状についてのお話し。生業の創出のお話。
そして、子供たちの進学を支援するための「まごころサンタ基金」のお話。
何度か足を運んだ者にとっては光景が見えてきますが、四日市あたりでは、入ってくる情報も断片的で、至って呑気ですから、大変感謝しています。
生業の創出は、生きがいの創出でもある。
今のまごころは、そういった活動にどんどん移行していることを、この間のGWに行ったときに感じました。
ボランティア=ガレキというイメージが根強くある。
しかし、被災地にいつまでもガレキがあってはいけない。
困った人が居るからボランティアが要るわけで、ボランティアが要らない日があっても大いにOK。
地域を元気付けること、それは、普段の生活を取り戻し、生業を活気付かせること。
だから、人が集まり語らう場所を創り出す。
地域に密着した新しい生業の場を創り出す。
人の心に弾みをつけるお祭りを一層盛り上げるために協力する。
そして、定休日を利用して、はるばるやってきたボランティアを対象に地域を知って好きになれたらいいな~、と、ちょっとしたツアーなどもやる。
復旧(ガレキ)のステージから、創造(地元のお手伝い)のステージに移行したからこそ、人の手が必要なこともますます多様になるんでしょうね。
ソフトばかりではなく、ハード面でも。
まごころの郷でのウッドデッキの屋根を作る大工仕事。
ふれあい工房の用地の整備(ビニールハウスの撤去作業)。
いいたて雪っ娘や、安渡復興米の作付けなどの農作業。
畑や花壇などの草取り。など・・・。
文字通り汗を流す人の手が必要とされていて、人との付き合いが下手な私でも、行けばなにかしら仕事があります。
とは言え、未だに側溝の泥出しでは、2年前そのままのガレキが出てくる。
細部にはまだまだ手つかずの部分が身近に存在する…。
そんな現実もあります。
さて、冬の間は人が少なかったこともあってか、今年に入って夕方のミーティングが中止された時期があったと聞きました。
現地であった出来事、注意事項、非常に重要な報告や指示、そして有意義な情報が提供され、共有が図られたり、時には弱音を吐いたりもする、まごころのミーティング。参加者が生の声をぶつけることができる。
こんなに自由なミーティングもなかなかないでしょう。
2 年前、600人以上も集まった人間を、いかにスムーズに動かすか、何に配慮すべきか、何が問題なのか。ミーティングで毎晩活発に意見を交わして積み上げ ていった、その現場に居合わせた者としては、遠野まごころネットは、ミーティングで基礎が形作られたと言っても過言ではないと感じています。
だから、参加したボランティアの要望で復活したことは喜ばしいことであり、当然出るべくして出て来た要望だと思います。
多田代表が日頃言っている「遠野まごころネットを解散することが目標です」という言葉。
東北から、ボランティアが必要とされない日が来たら、その時はノンビリと、早池峰のてっぺんでヒルネでも楽しみましょうか。
(富さん)
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